僕は、ひどく忘れっぽい。
大事なことのはずなのに忘れてしまうことが多いし、
覚えていたはずのことがいつの間にかなくなってしまっていることもある。
記憶っていうのは、ざっくり短期記憶と長期記憶に分けられていて、
短期記憶は20秒間で、5~9個のことしか覚えておけず、
そこから大事なことが長期記憶に残っていくらしい。
ということは、忘れてしまうことは大事なことではない、
ってことになるらしい。
それはつまり、興味がないということなのかな、とか考える。
他人との記憶を忘れてしまうことも、
その人に興味がないからなのだろうか。
他人に興味がないの?ときかれる。
断じてそういうわけじゃないんだけれど、
でもそう見えるのならそうかもしれない。
けれど、ひとつはっきりしているのは、
僕が一番興味があることは、
人間の持っている、一番隠していたい部分や、
核の部分や、触れられたくない部分や、
汚い部分や、美しい部分だ。
それが他人だろうが自分だろうが、
どちらでもいい。
その人の核となっているものが何なのか、
ものすごく興味がある。
逆にいえば、忘れられないでいることが、
ベタに言うとアイデンティティなんだろうか、
なんて考えたりもして、
そのために歌をうたってるんだろうか、なんて思ったりもする。
記憶の衰退には、減衰説と干渉説、検索失敗説があって、
時間の経過と共に忘れて行く、という減衰説、
他の記憶との干渉によって失われていく、干渉説、
情報自体の喪失ではなく、適切な検索手がかりがないため見つけられない、という検索失敗説の3つに分かれる。
音や匂いやエピソードは、
記憶へのアクセスタイムもアクセス度合も、
すごく強いもので、
例えこの3つの説、どれが正しかったとしても、
音楽って記憶への干渉のエネルギーが、すごく強いものだから、
きっと忘れないための手段としては、
すごく有効なものだと思う。
僕は 記憶 に関わるものに対する関心がとりわけ強いのだけれど、
音楽への興味と、記憶についての関心は、
もしかしたらすごく密接にかかわっているのかもしれない。
昨日も言及したけれど、興味を惹く、について。
よく思うことは、北風と太陽みたいなもんだな、ということで。
興味持ってくれー興味持ってくれー
って風を吹いても、コートの襟を立てるだけ。
太陽のように、そこにただ存在して、
暖かく照らすことで、
ハートに巻いた包帯・・・じゃなかったマフラーを、
取ってもらえるのを待つようなもんかなと。
それによって、
興味を持ってもらえて、
それはつまり忘れられないで存在することであって、
気にかかる存在であって、
時間が経過しても衰退せず、
たくさんの刺激があるなかでも干渉されず、
情報が喪失しないように、きちんと検索で辿り着けるような、
そんな存在になっていたいなと思うわけです。
僕が読んでくれ、とか、聴いてくれ、とかっていうのは、
必要最低限になって、でもゼロだと知ることもできないから、
やっぱりそこは最低限必要だけど、
知ってもらえた後は、
聴いてくれる人とか読んでくれる人が、
ああ、こういう時に欲するんだな、とか、
つい気になっちゃうんだな、とか、
そういう風に思ってもらって、
忘れられず、必要だと望まれることが
本望なんじゃないかと思うよ。
大事なことのはずなのに忘れてしまうことが多いし、
覚えていたはずのことがいつの間にかなくなってしまっていることもある。
記憶っていうのは、ざっくり短期記憶と長期記憶に分けられていて、
短期記憶は20秒間で、5~9個のことしか覚えておけず、
そこから大事なことが長期記憶に残っていくらしい。
ということは、忘れてしまうことは大事なことではない、
ってことになるらしい。
それはつまり、興味がないということなのかな、とか考える。
他人との記憶を忘れてしまうことも、
その人に興味がないからなのだろうか。
他人に興味がないの?ときかれる。
断じてそういうわけじゃないんだけれど、
でもそう見えるのならそうかもしれない。
けれど、ひとつはっきりしているのは、
僕が一番興味があることは、
人間の持っている、一番隠していたい部分や、
核の部分や、触れられたくない部分や、
汚い部分や、美しい部分だ。
それが他人だろうが自分だろうが、
どちらでもいい。
その人の核となっているものが何なのか、
ものすごく興味がある。
逆にいえば、忘れられないでいることが、
ベタに言うとアイデンティティなんだろうか、
なんて考えたりもして、
そのために歌をうたってるんだろうか、なんて思ったりもする。
記憶の衰退には、減衰説と干渉説、検索失敗説があって、
時間の経過と共に忘れて行く、という減衰説、
他の記憶との干渉によって失われていく、干渉説、
情報自体の喪失ではなく、適切な検索手がかりがないため見つけられない、という検索失敗説の3つに分かれる。
音や匂いやエピソードは、
記憶へのアクセスタイムもアクセス度合も、
すごく強いもので、
例えこの3つの説、どれが正しかったとしても、
音楽って記憶への干渉のエネルギーが、すごく強いものだから、
きっと忘れないための手段としては、
すごく有効なものだと思う。
僕は 記憶 に関わるものに対する関心がとりわけ強いのだけれど、
音楽への興味と、記憶についての関心は、
もしかしたらすごく密接にかかわっているのかもしれない。
昨日も言及したけれど、興味を惹く、について。
よく思うことは、北風と太陽みたいなもんだな、ということで。
興味持ってくれー興味持ってくれー
って風を吹いても、コートの襟を立てるだけ。
太陽のように、そこにただ存在して、
暖かく照らすことで、
ハートに巻いた包帯・・・じゃなかったマフラーを、
取ってもらえるのを待つようなもんかなと。
それによって、
興味を持ってもらえて、
それはつまり忘れられないで存在することであって、
気にかかる存在であって、
時間が経過しても衰退せず、
たくさんの刺激があるなかでも干渉されず、
情報が喪失しないように、きちんと検索で辿り着けるような、
そんな存在になっていたいなと思うわけです。
僕が読んでくれ、とか、聴いてくれ、とかっていうのは、
必要最低限になって、でもゼロだと知ることもできないから、
やっぱりそこは最低限必要だけど、
知ってもらえた後は、
聴いてくれる人とか読んでくれる人が、
ああ、こういう時に欲するんだな、とか、
つい気になっちゃうんだな、とか、
そういう風に思ってもらって、
忘れられず、必要だと望まれることが
本望なんじゃないかと思うよ。
PR
この記事にコメントする